山で友を失ったものとして
山での遭難が相次いで発生した。
精度の高い気象情報が充実し
携帯端末など情報機器も身近になった昨今
一向に気象遭難が後を絶たないのはなぜなのか?
ちなみにその捜索・救助活動の殆どは
山に登らない国民の血税とボランティアで賄われる。
登山を「スポーツ」の一つにするのであれば
「死」がそのルールにあるのは登山だけ。
そうであるのなら「止める」と言う
選択肢も当然生まれてくるはず。
私は行くと決めたら
何が何でも登る人たちとは
行動を共にしたくない。
山での遭難が相次いで発生した。
精度の高い気象情報が充実し
携帯端末など情報機器も身近になった昨今
一向に気象遭難が後を絶たないのはなぜなのか?
ちなみにその捜索・救助活動の殆どは
山に登らない国民の血税とボランティアで賄われる。
登山を「スポーツ」の一つにするのであれば
「死」がそのルールにあるのは登山だけ。
そうであるのなら「止める」と言う
選択肢も当然生まれてくるはず。
私は行くと決めたら
何が何でも登る人たちとは
行動を共にしたくない。